雨のにほひのする手紙

雨のにほひのする手紙

 少し開け放たれた、無人タクシーの窗の外。針葉樹の森が、段々と櫻の明るい色へ變はつていく。

 良く晴れた、四月一日の朝。キャリーケースが、がたがたとトランクの中で不滿さうに揺れてゐる音がする。

 タクシーのラジオは、いつの間にか地元のローカル番組から、よく知らない帝都の情報番組らしきものに調整されてをり、流行のパンケーキの店のCMが輕快に流れてゐた。

 わたしは、膝の上にある封筒を開け、お母さん――いや、母の字をもう一度たどった。

「つむぎさんへ」

 つーちゃん、と呼ばれてゐたわたしではなく、叮嚀にひらがなで書かれた「つむぎ」の文字が、わたしの心を少しだけしゃんとさせる。

 つむぎさんへ

 これを讀む頃には、もう星燈魔法學院に著いてゐるころでせうか。

 まづは、學院で出會つた人には、緊張しても、きちんと挨拶をすること。

 荷物の梱包は早めに解いて、整理整頓をすること。

 知らない人ばかりで疲れたら、眠れなくても横になって、目をつむること。

 樂しいことがあったら、手紙に書いてください。

 つらいことがあったら、それを書いてもいいです。

 書けないなら、空白のまま送ってきてもかまひません。

母より

 母からの手紙からは、インクの香りと、それから、少しだけ、雨のにほひがする。

 けれども、雨のにほひは、すぐに窗からの春の風で掻き消えた。

 何故かはわからないけれど、胸の奥が少しだけきゅっとなって、わたしは再び窗の外を見た。

 小學校の授業の成績は人竝み――學院で重視される魔法學の成績だけ良かったから、ダメ元で試驗を受けたら、合格した。

 學院は家から離れてゐるし、全寮制な事もあって、最初は渋ってゐた兩親だけど、郵便で送られてきた合格通知書をみて、最終的には納得してくれた。

 手紙を封筒に仕舞って、座席に置いたリュックにそっと入れる。

 心がざわざわするのを抑へる樣に、胸に手を當てるけれど、なかなか収まってくれない。

 櫻竝木を拔けた先にある大きな學院の門の前で、タクシーが靜かに停車した。

 メーターに書かれた一萬三千五百圓のお金を拂つてタクシーを降り、リュックを背負ってから、トランクからキャリーケースを取り出す。

 わたしがこれから入學する、星燈魔法學院。

 西洋のお城のやうな、舊い煉瓦造。

 寫眞では何となく見た事あるけれど、これは、思ってゐた以上に舊い。

 門の方から、ふ、と漂った知らないにほひに、なぜか不思議と少しだけ心が落ち着くのを感じて、わたしはその門をくぐった。

カテゴリー

刑部 しきみ

刑部 しきみ

 此處では、疲れた日にも讀める短い物語を少しづつ竝べてゐます。

 一話で滿腹になる大皿ではなく、氣になるものをひとつ選べる小鉢のやうな物語を目指してゐます。

 主な作品は、全寮制の魔法學院を舞台にした連作短編です。

 魔法の事件をたどりながら、心のもやもやに少しづつ名前をつけていく話を書いてゐます。